金銅製の高さ17.1センチメートル、直径9.0センチメートルの円筒形の経筒です。筒表には、のびやかな書体で建長4年(1252)に銚子周辺を治めていた平胤方(たいらのたねかた)が、亡母の供養のために経文を写して埋納したと刻まれています。
経筒とは、仏教経典を埋納する容器として作られたもので、この経筒は金銅製で高さ17.1センチメートル、直径9.0センチメートルの円筒形をしています。経筒の蓋は、平蓋(ひらぶた)でその表面に蓮の葉の意匠を線刻し、縁に三個の小孔を設けて筒身の突起にはめ込みつないでいます。
筒の表面は、全体に緑青(ろくしょう)でおおわれ、銘文を刻した部分は緑青の下に鍍金(ときん)がよく残っており、のびやかな書体で四行にわたり銘文が刻まれています。この銘文によると、建長4年(1252)2月5日に平胤方が亡き母親の供養のために如法(にょほう)に書写した写経を経筒に収めて埋納したことが記されています。
胤方は海上(うなかみ)氏を称し、鎌倉時代からこの地方を治めていた地方領主であり、市内常世田(とこよだ)町(注釈1)常灯寺の(注釈2)木造薬師如来坐像(重要文化財)の胎内にある仁治4年(1243)の修理時の墨書銘にみることができます。
この経筒は、昭和16年(1941)ころ、等覚寺(とうかくじ)東方の高見倉(たかみくら)で開墾中、タブノキの根もとから発見されました。
県内の経筒出土例は極めて少なく、この経筒の形態はほぼ完形に近く、銘文には、埋納者や趣意、紀年銘が明記されていることから、貴重な遺品といえます。
(銘文)
如法経
奉為悲母禅尼也
建長四年壬子二月五日
施主 平胤方