像高83.2センチメートル、カヤ材一木造(いちぼくづく)りの仏像は、温和な顔など彫り方が穏やかな作風で、内刳(うちぐ)りを施さない一木造りの構造から、平安時代後期(11世紀半ばから後半ころ)の製作で、市内最古の仏像です。
この仏像は像高83.2センチメートル、カヤ材の一木造(いちぼくづく)りで、螺髪(らほつ)は切子形(きりこがた ])に彫り出し、肉髻珠(にっけいしゅ)、白毫(びゃくごう)に水晶を入れています。衣は衲衣(のうえ)に偏衫(へんさつ)を付け、裙(くん)をはき、手に来迎印(らいごういん)を結び、左足をわずかに前に出して直立しています。
像の表面は泥地(どろじ)の漆箔(しっぱく)を施し、目に玉眼(ぎょくがん)を入れています。光背(こうはい )は、二重円相光で周縁部雲烟中に宝塔・飛天・迦陵頻伽(かりょうびんが)を浮彫りにし、台座は蓮華七重座で漆箔(しっぱく)が施されています。温和な顔や耳の彫り方は穏やかな作風で、内刳(うちぐ)りを施さない一木造りの構造も古様であり、平安時代後期(11世紀半ばから後半のころ)の製作と推定され、市内では最古の仏像です。なお、目の玉眼は後補(こうほ)であり、像の印象をやや損ねています。
東光寺(とうこうじ)は舟木山東光寺といい、真言宗智山派(ちざんは)の寺で阿弥陀如来を本尊とし、寺伝によると貞永元年(1232)浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)が関東布教の折、船木郷の善阿弥という信者の懇請により阿弥陀如来を安置し、お堂を建立したのが始まりといわれています。後に真言宗に改宗し、天正19年(1591)徳川家康から寺領十石を寄進され、真言密教の道場として発展しました。