長野県善光寺の阿弥陀三尊像の模像である本三尊像は、鋳銅製(ちゅうどうせい)で鍍金(ときん)が施されています。中尊の阿弥陀如来像は像高25.1センチメートルで、その作風に鎌倉時代末期(14世紀初めころ)の特徴が残っています。両脇侍像・光背・台座は近世以降の後補です。
善光寺式の阿弥陀三尊像は、鋳銅製で鍍金(ときん)を施しています。中尊の阿弥陀如来像は、像高25.1センチメートルで、螺髪(らほつ)を施毛形(せんもうがた)に彫り出し、白毫(びゃくごう)に銅を入れています。右手はひじで曲げ、左手は下げて第二・三指をのばして刀印を結び、衣は両肩に衲衣(のうえ)を着け、裙(くん)をはき、蓮華座(れんげざ)の台座に両足を揃えて直立してます。
左脇侍の観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)は、像高13.4センチメートルで宝冠に阿弥陀仏を表し、右脇侍の勢至菩薩立像(せいしぼさつりゅうぞう)は、像高13.5センチメートルで宝冠に宝瓶(ほうびょう)を表し、共に蓮華座の台座に直立しています。光背(こうはい)は、鋳銅製で、周縁を雲烟とし、上方には化仏七体を浮彫りにする二重相光です。
中尊の阿弥陀如来像はその形状・構造・作風等から鎌倉時代末期(14世紀初めころ)の製作と推定されています。また、両脇侍像、光背、台座は近世以降の後補のものです。
善光寺式阿弥陀三尊とは、阿弥陀信仰と浄土教が盛んになるにつれて、飛鳥時代に長野県善光寺に安置されたという三国伝来の阿弥陀三尊像を尊び、その模像が藤原時代末から鎌倉時代にかけて多く造られました。ひとつの光背を三尊が共有する一光三尊形式で日本全国に分布し、関東に多く残っています。