砂岩製(高さ57.5センチメートル)の竿石には、銚子外浦の酒屋又兵衛が宝永5年(1708)11月に猿田神社へ燈籠を奉納したという銘文が刻まれています。金石文に「銚子」という地名が現れた最古のものです。
この金石管は、(注1)猿田神社本殿前に置かれていた高さ57.5センチメートルの砂岩製の燈籠の竿石です。
(銘文)
宝永五戌子天十一□□□
奉寄進猿田権現神前石□□□
銚子外浦酒屋又兵衛敬白
(注釈)□は摩滅判読不明
銘文によると宝永5年(1708)11月に銚子外浦の酒屋又兵衛が猿田神社へ燈籠を奉納したものとされています。銘文中に「銚子外浦」とあるのが、金石文に現れたものとしては、最も古い「銚子」の地名です。
江戸時代になり、利根川の河口付近の村々に対し「銚子」という地名が使われ始めたようですが、この地名は利根川河口の形が酒器に似ているところから起こったいわれています。やがて、水運や漁業を通じて他国との往来が盛んになるに及んで、これが飯沼(いいぬま)村、新生(あらおい)村、荒野(こうや)村、今宮(いまみや)村をさす汎称に転じたものです。
燈籠が寄進された宝永年間(1704から1710)にはすでに「銚子」の名が広く用いられるようになった時期と考えられます。