釈迦が沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向け、身体を横たえ、多くの弟子や動物に見守られて入滅(にゅうめつ)する様子を、各種の色糸を用い、細かな刺繍(ししゅう)で描いた、縦354.7センチメートル、横268.6センチメートルの掛幅装(かけふくそう)です。寛文9年(1669)に縫物師の京都次郎左衛門などの手により縫い上げられました。
釈迦涅槃図は、釈迦が沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で頭を北に向け、身体を横たえ、多くの弟子や動物に見守られて入滅(にゅうめつ)する様子を描いた図です。この涅槃図は掛幅装(かけふくそう)で、縦354.7センチメートル、横268.6センチメートルの大幅で各種の色糸で細かく刺繍(ししゅう)で描かれており、全国的にも類例は少ないものです。
図の各部に寺院関係者や近郷の村々の庶民などの寄進者の名前が刺繍されており、このほか遠く仙台、紀州、泉州等の地名が見られ、当時の信仰の広がりを知ることができる資料です。
また、本図は銘文によると寛文9年(1669)に縫物師の京都次郎左衛門などの手により縫い上げられました。
釈迦涅槃図の一般公開は、毎年2月15日の釈迦涅槃会(しゃかねはんえ)に圓福寺涅槃殿(えんぷくじねはんでん)で行なわれます。
圓福寺は、真言宗の寺で、寺伝によると神亀5年(728)に漁師が海中で網にかかった十一面観音像を安置し、草堂を建てたのがはじまりといわれています。中世においては、千葉一族の海上(うなかみ)氏の帰依をうけ、江戸時代には幕府から寺領三十石を与えられ、坂東三十三ケ所観音霊場の第二十七番札所で「飯沼観音(いいぬまかんのん)」の名で親しまれています。