猿田村の検地帳は、天正19年(1591)9月1日・2日に実施された名主側に残された検地当時の原本で、縦30.5センチメートル、横20.5センチメートル、紙本墨書の冊子装(さっしそう)で4冊あります。
検地は豊臣秀吉の土地政策で行なわれ、房総各地では、天正19年(1591)から20年(1592)にかけて実施されました。
検地帳は、水帳(みずちょう)・縄帳(なわちょう)などともいい、検地の結果を一村ごとに記録した土地台帳のことで、関係領主と村の名主が所有するため二部作成されました。猿田神社が管理する天正検地帳は名主側に残された検地当時の原本です。
大きさは、縦30.5センチメートル、横20.5センチメートルで紙本墨書の冊子装(さっしそう)で四冊からなります。
猿田(さるだ)村の検地は、天正19年(1591)9月1日、2日の両日にわたり実施されたものであり、検地役人は清田甚允、案内には猿田村の玄番允、次郎左衛門が担当しています。
本文は、耕作地の一筆ごとの字名、縦横の間数、土地の種類及び等級、面積、取米、土地所有者、耕作者が記されています。
この検地帳は、太閤検地当時における土地の状況、農民や耕作の実態を知る上での重要な資料です。