柴崎町の検地帳は、天正19年(1591)10月9日に実施された検地当時の原本と考えられ、田畑分6冊、屋敷地分1冊の合計7冊あります。大きさは、縦30.5センチメートル、横20.0センチメートルです。
柴崎町内会に残る天正検地帳は、天正19年(1591)10月9日に検地奉行原大炊助、検地役人吉佐太郎、手代東方彦大夫及び増善七郎によって実施された検地をもとに作成されました。田畑分6冊、屋敷地分1冊の合計7冊からなっており第一番から第七番までの番号が記されています。本文には土地一筆ごとの地字、縦横の間数、土地の種類、等級、面積、名請人が記されています。
延享2年(1745)柴崎村の海上八幡宮の神領をめぐる神社と柴崎村との土地争いの際に、神主の松本家は「本帳」である天正検地帳から、神領に関する部分を抜き出し、写本として残しています。それによると、この争論の時点で「本帳」は7冊確認されており、本検地帳が、「本帳」として村の土地関係の基本台帳として用いられていたことが確認できます。
(松本修理日記・天正検地帳 松本家文書)