銚子市立椎柴小学校
学校の沿革


椎柴小学校
学校の沿革


長山分校

1.学区の歴史

  •  徳川幕府版籍奉還後,一部を除いて私有地でなかった長山野を,小船木長山の一部,長山南部を滑川藤兵衛氏が他の長山町全域を橋本新太郎氏が払い下げ所有地として私有化した。
      江戸時代の長山の歴史は明確ではないが,寛文2年(1672年)この地の開拓をめざして代官,関口作兵衛が初めて検地をしたこと,さらに享保2年(1717年),海上郡17ヶ村とともに,松平右京太夫輝貞の所領となったことなどが記録に残っている。
      明治にはいると,他村からの移住が始まり,橋本氏の小作人として農業を営んだ。当時長山に移住し開拓に努力すると兵役が免除になり,小作料が安いという魅力があったという。
      その後,明治41年に内野五郎三氏が長山の土地を買い受け,地主として長山の発展に貢献した。

2.長山分校の沿革

長山分校ギャラリー
創立 明治42年4月1日(1891年)
建築費 内野氏が120円出費し,村人から2円から20円程度の寄付をつのった。
建築請負人 宮内太兵衛 大工山崎和三郎(手間 1日55銭)
分校維持費 当時の分校維持費は,年間200円ほど必要であったが,内野氏が150円寄付し,保護者は学校田を共同で耕作し,その収入を学校に寄付した。
  • 〈大正時代〉
     大正5年小長は小船木より独立し小船木長山と改称,同6年10月1日の大暴風雨で校舎全壊,同7年3月,内野氏1500円を投じ瓦屋根24坪と便所を寄付。村民が400円で教員住宅を造った。

    〈昭和時代〉
     戦後,農地改革により農地が解放され小作人は自作農となった。昭和22年,内野晋氏と村民の協力により,電灯が引かれ,文化的生活が可能になった。同29年4月1日,椎柴村,船木村が銚子市と合併,同34年有線電話が引かれ,安藤氏宅に公衆電話が入る。これを親電話として分校に子電話が入る。また,同年秋,銚子〜旭間のバスが運行。しかし,現在利用者の減少のため廃線となっている。

昭和37年4月12日 長山分校後援会が発足(平成12年3月小長・長山両町内会に引き継ぐ)
昭和41年8月 分校校舎全面改築
昭和49年5月10日 外側土手土留壁完成
昭和51年4月20日 開校70周年記念式典挙行
昭和53年12月18日 屋内運動場竣工
昭和61年6月 校門門扉完成
平成元年12月 国旗掲揚台改修
平成7年5月 水道敷設
平成8年3月 体育館に分校の歌額を設置
体育館舞台上部横幕と左右の袖幕を新調する
平成9年10月 校舎屋根,外壁改修
平成11年3月 校舎北側窓サッシ化改修
平成17年3月 休校
平成18年3月 廃校