僕が沖縄派遣に応募した理由は、沖縄戦でどんなことがあったのかに興味を持ち、自分の周りの人達に戦争の悲惨さや命の大切さを伝えたいという思いがあったからです。1日目は、しおさい号に乗った後、モノレールに乗り、那覇空港に向かって飛行機に乗りました。飛行機に乗るのは7年ぶりだったので、空から見る景色はとても美しく感じました。沖縄に着いた後、沖縄陸軍病院跡を見学しましたが、病院跡の前で説明を受けていると気分が悪くなり、立っていることができなくなってしまいました。中の様子は扉が設置されていて見ることができず、自分の目や肌で直接感じることができなくて、とても残念な気持ちになりました。2日目は、午前中ひめゆりの塔を見学しました。ひめゆりの塔には第3外科壕跡がありました。底が見えないほど深く、そこでなにがあったかと思うと胸が締め付けられるほど辛い気持ちになりました。その後、ひめゆり平和祈念資料館を見学しました。240人もの人達が自由もなく、強制的に働かされている様子の絵や学徒隊の人達が書いた作文がありました。そこには、当時の悲惨な出来事や辛かった思いが事細かに書かれていて、当時の様子を思い浮かべ、今の自分が置かれている平和な環境にもっと感謝しなければいけないなと思いました。次に、ジョン万ビーチで少し休憩しました。ジョン万次郎という日本の翻訳家で初めてアメリカに上陸した1人で、アメリカから帰国した際に上陸した場所が大度浜海岸です。そのため、ジョン万ビーチと呼ばれるようになりました。ジョン万ビーチは透明度が高く生き物の姿がとても良く見えました。サンゴの亡骸などは白く、形も大きくて、とても美しかったです。午後は、平和祈念公園と沖縄県平和祈念資料館を見学しました。幼い子どもが血を流しながら倒れている写真を見て、息ができなくなるくらい胸が苦しくなりました。その他に、倒れている老人や体が焦げている写真を見て、目を背けたくなるような気持ちになりました。でも、その状態をしっかりとこの目で見て、自分の周りの人達に命の大切さを伝えたいという思いで頑張りました。その後、糸満市役所で語り部の人達と交流会がありました。沖縄戦への思いや悲惨な出来事などを強く語ってくれました。 3日目は首里城を見学しました。2019年の未明に起きた火災で建造物が焼け落ちてしまいましたが、現在は復興に向けてどんどん進んでいます。工事をしている様子が見学できて、とても勉強になりました。復元した姿が楽しみです。 この3日間を通し、沖縄の歴史や戦争で起きた出来事の悲惨さや平和の尊さ、命の大切さについて考えさせられ、学び得ることができました。戦争を経験した遺族の方々に深い傷跡を残し、沖縄に大きな被害をもたらした沖縄戦の記録をこれから先も風化させないために、僕が経験して感じてきたことを周りの友達や家族などに伝えていきたいと思います。貴重な経験をすることができ、思い出に残る研修となりました。今回の研修でお世話になった方々には、本当に感謝しています。
私は沖縄戦について学びに行き、新しく分かったことがたくさんありました。まず、沖縄は大変な戦場地になったということです。今までは、原子爆弾を投下された広島などが特に被害が大きかったと思っていましたが、沖縄では地上戦があったことで一般人の犠牲がすごく多かったと知り、沖縄戦についてのイメージが少し変わりました。次に、沖縄県の皆さんの戦争への気持ちです。実際に資料館や病院跡を訪れてみて、当時の人々の苦しみや悲しみ、切なさを感じました。戦時中の人はみんな死を覚悟してしまうほど追いつめられていて、そのときの状況を想像するとつらくなりました。そして、資料館では今の沖縄県の皆さんの戦争を憎む気持ちと、平和への強い願いと努力を感じ取ることができました。私は沖縄派遣を通して、命と平和の大切さを学びました。平和の語り部の皆さんや、案内してくださったガイドの方も、命の尊さや平和への願いを語ってつないでいきたいと教えてくださいました。私も沖縄県の皆さんの希望を忘れず、命と平和の大切さ、そして二度と戦争をしない決意を広めていきたいです。
私は、派遣研修で初めて沖縄に行き、気づいたことがあります。沖縄では、台風等の影響を受けることが多いことから、建物が倒れて危険だと思い、1階建ての家が多いのかと思っていました。ですが、高いビル等が並ぶ所もあり、2階建ての家が多いところもありました。また、沖縄は銚子に比べて緑が多く、街路樹は、少し工夫され潮に強い木などが植えてありました。防空壕では、沖縄戦当時の壕内の臭いを再現した香料が入っている小ビンを嗅がせてもらいましたが、排泄物や汁の臭いが混ざって言い表せない程くさい臭いがしました。当時の人は、24時間臭気が漂う環境下に身を置かざるを得なかったため、嗅覚が麻痺してしまっていたそうです。壕の中は暗く懐中電灯がなければ何も見えない所で、人が掘った跡や焼け跡等が残っており、足元は滑りやすく、注意しなければ転んでしまいそうな所で、今では考えられない程の環境に衝撃を受けました。ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館では、学徒隊の亡くなった方々の写真、性格等が記されている資料がありました。また、当時の経験を語っている人の映像や今では考えられない物の展示、虫がいて狭く覗いても中が見えない程深い防空壕、爆撃で建物が残っておらず瓦礫等が落ちている写真を見て、戦争がいかに恐ろしく悲惨なものかよく分かりました。平和祈念公園内にある平和の礎には、沖縄県民、他県の方、外国の方に分かれており、多くの名前が刻まれていました。その中でも戸籍が燃えてしまい身元が分からず何々家の母等の様に刻まれている方もいました。首里城では、入り口までの長い道や急な階段等、敵が簡単に入って来られないように工夫されていました。見学した時は建設途中でしたので、この先首里城が完成した時が楽しみです。私は、今の時代、戦争の記憶がどんどん薄れていき、技術が進んでいろいろ便利な物も増えてきた中で、昔の辛さを知らない人が多くなると思います。なので、1人でも多くの人に学んだことを伝えられるように頑張りたいです。
私は、沖縄戦の歴史について、より理解を深めることを目標として派遣研修に参加しました。1日目に行った南風原文化センターでは、実際にひめゆり学徒隊の人達が治療を行っていた陸軍病院跡を見学しました。ベッドが置かれていた場所や火炎放射器で焼かれたと思われる天井部分、支柱などに目を凝らしました。特に見入ったのは、天井に刻まれた「姜」という文字で、朝鮮人兵士が掘ったのだと教えてもらいました。2日目は、ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館に行きました。当時の方の話や資料など沢山の事を学びました。特に印象的だったのは、地下壕を改装した室内に顔写真の金属プレートが所狭しと並ぶ展示です。そこには名前と素性、そして負傷や死亡の経緯が刻まれていて、その人が生きていた証と命の重みをすごく感じました。次に沖縄県平和祈念公園に行きました。そこでは、糸満市の中高生の方々にガイドをしていただきながら資料館や慰霊碑を見学しました。慰霊碑に亡くなった方一人ひとりの名前が刻まれているのを見て、失われた命の重みが肩にのしかかってくる感覚を覚えました。3日目は首里城を見に行きました。建物のほとんどが焼失してしまっていて、あまり見れなかったことが残念でした。私はこの研修で学んだ多くの事を色々な人に発信をして、このようなことが二度と起こらないようにしたいと思いました。また、アメリカの軍事基地の事についても、さまざまな問題があると聞きましたので、その事にも耳を傾けていこうと思いました。