私は、広島派遣学習を通して、大きく2つのことを学びました。
1つ目は、原子爆弾投下による被害の深刻さです。
広島平和記念資料館や原爆ドームを見学すると、目を覆いたくなるような原爆投下の実際が展示されていました。当時どれほどの大きな被害を受けたのかを目の当たりにして、教科書で学習していた内容よりも酷く、とても驚きました。
また、平和記念式典や全国こども平和サミットでは、当時の中学生が学徒動員として大人と同等の扱いを受け、働かされていたことや、実際に原爆が投下された時の悲惨な状況を被爆者から聞きました。大きな音がして家を出て原爆が投下された近くまで行った際に、今まであった大きな建物が全て吹き飛ばされ、本来見えるはずのない瀬戸内海の似島が見えたと聞き、原爆のすさまじさを感じました。
そして、放射線は人の目には見えないのに、体の細胞を破壊するほどの害があり、その時命が助かったとしても、後遺症として貧血・頭痛・吐き気・吐血・下痢などの症状が長く続き、苦しめられるとのことでした。
どれほど苦しく辛いものか話を聞き、今の自分達の生活がどれほど幸せなものかを考えさせられました。
2つ目は、平和の大切さと平和を受け継ぐことの重要性です。
全国平和学習の集いで同世代の人たちとのグループ活動を通して、原爆だけではなく、他県での空襲などさまざまな被害に遭ったことについても学びました。グループのメンバーで戦争は絶対に繰り返してはいけないことだと改めて認識し、さらに自分達が平和を受け継いでいくことの重要性も強く感じました。
今の自分達がおかれている状況を当たり前だと思わずに、これからもこの平和が続いていくようにしていきたいと思いました。
平和とは、戦争がないだけではなく、人の権利、尊厳を尊重できる社会であると今回の派遣研修で学びました。平和のために今の私達ができることは、戦争の悲惨さを受け継ぐこと、そして物事を「相手の立場になって考えること」だと思います。普段の生活の中でも相手を思いやる気持ちを忘れずに過ごしていきたいと感じました。
この度は、銚子市平和大使として広島に行かせていただきさまざまなものを見て、さまざまなことを学ばせていただきました。平和大使として行かせていただく前は、あまり原爆というものについて実感がわいておらず、少し遠い昔のことのようにも感じていました。
そんな中、広島平和記念資料館へ入り、原爆の爆風によって壊された建物や歪んだ鉄の扉などを見て衝撃を受けました。その他にも、資料館にあった原爆の現場を描いた絵を見て、あまりに今の光景と違い、現実にあったものとは思えませんでした。広島で生き残った人が書いた記録も残っていてそこには、生きようと頑張ったけれど死んでしまった人、1人残され生きてきた人などさまざまな人の気持ちが残されていました。私は、それらの資料館に残された原爆の記録を見ることで、あまり実感がわかなかった原爆が実際に身近にあった恐ろしいものとして感じられるようになりました。そして、ここで見たことをこれからも忘れてはいけないと思いました。
その後出席した「全国こども平和サミット」では、実際に被爆者の方からお話を聞くことができました。その方が語った恐ろしい話が、81年もたった今でも忘れられずにいるのだと、それほどまでに強烈な印象を残していったのだと、恐怖を感じました。
最後に参加した「全国平和学習の集い」では、初めて出会った全国の中学生と「どうすれば平和に近づくことができるのか」という題目でディスカッションを行いました。自分にはない新しい視点からの意見が沢山あり、平和について考え直す機会になりました。
私は、今回平和大使として行かせていただき学んだことを通して、原爆とは今でも爆発する可能性はあるものだと実感しました。それ自体をなくさない限り決して完全に平和に近づくことはできず、不安がなくならない存在であるとわかりました。
また、被爆者の平均年齢が86.6歳だそうです。平和大使として学べたことをこれからの生活で少しでも多くの人に伝え、継承していかなければならないという思いも強くなりました。そのためにも、自分にできることが何なのか考えて実際に行動に移していこうと思います。
このような貴重な機会を与えていただいたこと、引率していただいた市役所の方々にとても感謝しています。
私は、今回銚子市平和大使派遣事業に参加し、戦争の悲惨さや平和の尊さについて学んできました。私は、広島に行く前から日本の歴史に大変興味があり、戦争や原爆については学校で勉強してある程度は知識をもっているつもりでした。しかし、資料などを読んだり、見たりしただけではどこか遠い出来事のようにも感じてしまう面が正直ありました。今回実際に広島の地を訪れて、戦争や原爆は本当に起こった出来事であり、81年前に実際被爆された人々がいて、今なお原爆のせいで人生を狂わされ苦しんでいる人々が大勢いることを知り、戦争の恐ろしさを考えさせられました。
私が特に印象に残ったのは、広島平和記念資料館です。資料館では、被爆してしまった人々の写真や遺品を自分の目で見ることができました。そこに残された物を見ると、被爆者の痛みや苦しみがひしひしと伝わってきて、とても胸が苦しくなりました。さらに、全国こども平和サミットでは、被爆体験者の河野キヨ美さんからお話をうかがうことができました。キヨ美さんが語られる事は、どれも現実かどうかを現代の平和な日本に暮らす私にとっては疑ってしまうようなもので、当時の人たちの苦しみを想像すると自分も胸が締め付けられる想いになりました。それと同時に、そのように思い出すだけで辛い体験を私たちに伝えてくださったことへの感謝と、お話を聞いた私たちがこの事実を風化させず、教訓として受け継いでいかなければいけないという強い責任も感じました。
今回の派遣事業を通して、「平和」は当たり前にあるものではなく、少しの揺らぎですぐなくなってしまう可能性を秘めているものであると思いました。だからこそ、1人1人が今ある「平和」な日常を大切にしていかなければいけないと私は考えます。私は、今回この派遣事業のリーダーとして参加させていただき、とても多くの発見を得ました。机上の学びだけでは分からないようなことも広島で実際に体験することができて、自分自身の平和に対する考えがさらに深まり、「百聞は一見にしかず」とはまさにこのことだと思いました。しかし、まだ原爆や戦争のことを全て理解することはできていませんし、体験者ではない私が全てを理解する事は不可能です。これからもっと勉強して、「平和」に対する考えを深め、いつか河野キヨ美さんの意思をついで伝える側にもなれたらと思います。まずはその第一歩として、文化祭で銚子中学校のみなさんに今回の体験を広めたいと考えています。今後もこの体験を忘れず、穏やかな日常に感謝して生きていきたいです。この派遣事業に関わってくださったすべての方々にも感謝します。ありがとうございました。
私は、広島派遣研修に参加できることが決まり、原爆ドームを訪れることをとても楽しみにしていました。一方で、しっかり広島の原爆について勉強し、派遣研修に行けるのかという不安もありました。
私は、実際に参加してみて、特に一番印象に残ったのは広島平和記念資料館です。なぜなら、昭和20年8月6日は、広島市内で大規模な建物疎開作業が行われていました。 この作業に動員されていた現在の中学生にあたる年代の子どもたちは、屋外の作業現場で被爆しました。約6300人が亡くなりました。生き残った子どもも原爆で負った火傷や怪我の後遺症、病気で苦しんだり、心ない差別に苦しんだりして亡くなったそうです。そうした彼らの遺品が多数展示してあり、私は展示してある写真や言葉、文をじっくり見て当時の状況を想像し怖くなりました。次に印象に残ったことは、原爆ドームです。テレビやSNSで見ていたよりも原爆ドームは想像以上に大きく、とても驚きました。原爆ドーム内では、被爆時の激しい爆風と熱線によって、館内にいた約30名の職員や関係者全員が即死したとされています。原爆ドームには、沢山の人々の思いがこもっていると感じました。そして、私たちは全国平和学習の集いにも参加してきました。平和学習では、 広島市のボランティア、ユース・ピース・ボランティアの方々や他の地域の方々とグループを作って、自分達が住んでいる地元の戦争被害の紹介をし、グループ・ディスカッションをしました。ディスカッションテーマの「平和を築く行動」をテーマに、グループのみんなで意見を出しあって意見をまとめ、他のグループの方々と交流し、「平和を築く行動」について良く考えることが私なりに頑張れたと思います。そして、グループ・ディスカッションを通して、広島のお友達もできました。
私は、広島派遣研修での経験を通じて、人の話を聴くことの大切さ、平和な毎日のありがたさを感じました。また、毎日おいしいご飯を作ってもらえること、欲しい物を買ってもらえること、それらが当たり前だと思わず1つ1つのことに感謝する気持ちを忘れないでいきたいと思いました。「平和を築く行動」のディスカッションで考えたこと、平和つまり、人々が仲良く共存する生活をするために、私にできる行動を考えていきたいです。
今回の広島派遣研修での経験と学びをこれからの学校生活や日常でも活かしていきます。ありがとうございました。
