康応2年(1390)閏3月16日銘の板碑は、主尊に密教での秘法の本尊とされたキリーク(紅頗梨色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい))が刻まれ、全国的にも類例が極めて少ないものです。
板碑とは、板状の石材に表す梵字(ぼんじ)の種子(しゅじ)、紀年銘、造立趣意などを刻んだ一種の供養塔で板石塔婆(いたいしとうば)とも呼ばれ、鎌倉時代初期から江戸時代初期に至るまで盛んに造られたもので、全国に分布しています。
この板碑は、高さ111センチメートル、幅59センチメートル、厚さ11センチメートルで凝灰質泥岩(ぎょうかいしつでいがん)(飯岡石(いいおかいし))を用い康応2年(1390)に造られています。
石の表面に天蓋(てんがい)、キリーク(紅頗梨色阿弥陀如来(ぐはりしきあみだにょらい))の種子、蓮華座(れんげざ)、独鈷杵(とっこしょ)、五鈷杵(ごこしょ)が鋭く彫り込まれています。
独鈷杵の左右には、サク(勢至菩薩(せいしぼさつ))とキリーク(千手観音(せんじゅかんのん))の種子が刻まれ、また碑の下方に銘文があり、右は「第三住持□翁大徳(□は摩滅判読不明)」、左は「康應二年庚午閏三月十六日」紀年銘で、「康應」は北朝の年号です。
紅頗梨色阿弥陀如来は、密教において秘法の本尊とされ、これを主尊としたこの板碑は、全国的にも類例が極めて少なく貴重なものです。造立地は、鎌倉時代にこの地方を治めていた海上(うなかみ)氏の菩提寺である称讃寺(しょうさんじ)跡と伝えられています。
現在、板碑を保護するため覆屋内に保存しています。