石上家は蔵内に保管されていた文献から弘化元年(1844)の石上新藤が初代とされ酒造業と穀物業を行いながら多角的な事業を行ってきました。資料によると米蔵は、明治35年(1902)までに建設されたと考えられています。酒造用の米を保管、精米するための蔵です。
明治29年(1896)ごろの建築とみられ、蒸しあげた米に麹菌を付着させるための部屋です。
建築年代は明治35年(1902)ころの建築とみられます。麹菌が付着した蒸米と仕込み水、酒母をホーロー引きのタンクで麹を熟成させる工程が行われています。
建築年代は、明治35年(1902)ころの建築と推定されます。大きな改造は行われておらず、石上家の歴史的建造物では貯蔵蔵のみ黒生瓦が使用されています。
建築年代は仕込蔵、米蔵と同時期の明治35年(1902)の建築とみられます。
酒造用の米を保管・精米するための蔵です。建物の外壁は三層に分かれ、下層はなまこ壁を腰壁として中層はガルバニウム張、上層の2階部分は妻面まで白漆喰仕上げとなっています。
明治35年(1902)ころまでに建築されたものと考えられます。石上家は蔵内に保管されていた文献によると弘化元年(1844)に石上酒造株式会社を創業し、現在で5代目となります 。 初代石上新藤は酒造業と穀物業を行いながら養豚業、海鹿島の築港、肥料会社の設立、〆粕・魚油の商い等々多角的な事業を行ってきました。太平洋戦争で銚子市街では空襲を受け一面焼け野原となってしまいましたが、石上酒造では一部被害はありましたが焼失を免れ、歴史的建造物を保持することが出来ました。
同敷地の大谷石を使用する蔵や聞き取りから明治29年(1896)ころの建築と推定されます。木造平屋建て、切妻造、トタン葦の小屋に覆われています。
蒸し上げた米に麹菌を付着させるための部屋です。室内部は室温、湿度を一定に保つために、外壁の大谷石との間にはもみ殻が詰められています。大谷石の組積造平屋で室を内包する形式になります。
建築年代は明治35年(1902)ころです。仕込蔵(醪蔵)は麹菌が付着した蒸米と仕込み水、酒母をホーロー引きのタンク3週間程仕込み醪を熟成させる工程が行われます。
平成23年の東日本大震災の影響で鬼瓦、棟瓦が破損したため、全体の葺き替え工事が行われました。2階部分の増築や震災による屋根瓦の変更が見られるものの、当時と差異なく使用され、明治期の銚子市における酒造の歴史を垣間見る事ができる貴重な建物です。
建築年代は明治35年(1902)ころです。貯蔵蔵は完成した日本酒の貯蔵や醪から生酒を絞り出す工程を行う蔵で現在も使用しています。当時の工法を知るうえでも重要です。 構造形式は、組積造、平屋建て一部2階建てになっています。外壁は大谷石の長手積みのツル目とコボリ仕上げで、桟瓦葺の切妻造で、妻入りです。妻面は外壁の大谷石がそのまま積み上げられています。大きな改造は行われておらず石上家の歴史的建造物では貯蔵蔵のみ銚子特有の黒生瓦が使用されています。
文庫蔵は仕込み蔵、米蔵と同様の明治35年(1902)ころに建築されたと推定されます。土蔵造り2階建。1階は床張り真壁漆喰仕上げ、2階も板張り真壁漆喰仕上げになっていました。 しかし、平成23年(2011)の東日本大震災で破損した瓦の補修とともに、漆喰壁をガルバニユム鋼板で覆っています。蔵内に木枠に内部を漆喰で仕上げた板戸が残されています。街路側の北妻面2階には左右に窓を開きアクセントとなっています。