社伝によると、平安時代初期の大同2年(807)の創建とされ、本殿は、正面三間、側面二間の三間社流造(さんげんしゃながれづく)りで、随所に江戸時代前期の力強さが伝わる彫刻などがみられます。現在の本殿は、天和3年(1683)の建立で、平成11年度から解体修理を実施し、平成14年度に終了しました。
海上八幡宮は、社伝によると平安時代初期の大同2年(807)豊前宇佐(うさ)八幡を勧請(かんじょう)し、造営しました。祭神は、譽田別尊(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと)、比賣神(ひめのかみ)の三柱を合祀しています。江戸時代は、社領三十石を有し、海上郡六十余郷の総鎮守として栄え、総社八幡宮と称していました。
この本殿は、正面三間、側面二間の三間社流造(さんげんしゃながれづく)りで、茅葺の屋根(注:平成11年度から14年度に解体修理を行い、現在は銅板葺)に、千木(ちぎ)、勝男木(かつおぎ)を置き、周囲には、擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)の縁をめぐらし、脇障子を設けています。柱上の組物は出組(でぐみ)、中備(なかぞなえ)には梅に鴬、葡萄(ぶどう)にリス、松に鷹などの動植物の彫刻を装飾に用いた本蟇股(ほんかえるまた)を置き、妻飾は、二重虹梁(にじゅうこうりょう)で下段中央に鬼の彫刻をすえるこの施工は、江戸時代前期の力強さを表現するものです。 向拝(こうはい)中央の柱間に、虹梁を省略し唐獅子の木鼻(きばな)彫刻を施しているのは、県内でも類例の少ない技法です。柱、組物、垂木(たるき)などは弁柄(べんがら)朱塗、向拝柱は黒塗、蟇股及び木鼻、手挟(たばさみ)などは極彩色で彩られています。
現在の本殿は、桁の墨書銘から天和3年(1683)の建立と推定されています。