像高102.6センチメートル、ヒノキ材割矧造(わりはぎづく)りの仏像は、頭部等に近世の後補が認められますが、体部の作風から平安時代後期(12世紀後半)の製作といえます。寺伝によると、源満仲(みなもとのみつなか)(平安時代中期の武将)の子、美女丸の作で満仲の守り本尊と伝えられています。
この仏像は、像高102.6センチメートル、ヒノキ材の割矧造(わりはぎづく)りで、螺髪(らほつ)は切子形(きりこがた )に彫り出し、肉髻珠(にっけいしゅ)、白毫(びゃくごう)に水晶を入れています。衣は右肩に偏衫(へんさん)をかけ、裙(くん)をはき、両腕ともひじを曲げ、右手は掌(たなごころ)を前に向けて全指をのばし、左手は第三、四指を曲げて薬壷(やっこ)を持ち、両足を揃えて直立しています。頭部は内刳(うちぐ)りなしの一材製で差首(さしくび)となっています。
台座は蓮華座(れんげざ)で、光背(こうはい)は内側に八葉蓮華を形にした輪光です。像の表面は、現状では木地を呈するが各所に後補(こうほ)の漆が残っており、当初は漆箔(しっぱく)であったと推察できます。
本像は、頭部、両袖、両足先が近世の後補に変わっていますが、体部はその穏やかな作風及び一木割矧造(いちぼくわりはぎづく)りの構造から平安時代後期(12世紀後半)の製作と推定されます。
寺伝によると、この薬師如来は源満仲(みなもとのみつなか)(平安時代中期の武将で、摂津多田に住し多田源氏を称する)の子、美女丸の作で満仲の守り本尊と伝えている。
持宝院(じほういん)は青光山持宝院といい、真言宗智山派(ちざんは)の寺で、本尊は金剛界大日如来です。