この1号墳は、古墳時代後期(6世紀から7世紀ころ)に築造されたと推定され、主軸長約35メートル、高さ4メートルの市内最大の前方後円墳です。この周辺では、今でも円墳・方墳など確認できますが、ほとんどの墳丘(ふんきゅう)が消滅し、周溝のみが残存していると考えられます。また、弥生から平安時代の住居跡60軒をはじめとする遺構(いこう)も検出され、古代のムラの様相を知ることができました。
野尻古墳群は、利根川に面する標高約50メートルの下総台地の北側緑辺部に位置し、前方後円墳一基、円墳八基、方墳三基からなりますが、すでに墳丘が消滅し周溝のみが残存する古墳が多数所在する可能性が高いと考えられます。
一号墳は前方後円墳で、前方部を北西に向け、墳丘の主軸長は約35メートル、高さは約4メートルで、銚子市内所在の古墳では群を抜いた規模です。発掘調査は行なわれていませんが、墳丘形態、規模及び立地条件などから古墳時代後期に築造されたものと推測されます。
野尻古墳群を含めた野尻遺跡は、古墳時代を中心とした遺跡です。昭和51年(1976)の市立銚子西高校建設に伴う発掘調査では、弥生、古墳、奈良・平安の各時代の住居跡60軒、円墳二基、方墳三基が検出されました。遺物は弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)などのほかに、直刀、鉄鏃(てつぞく)、石器、琥珀(こはく)製棗玉(なつめ)、ガラス玉、炭化米(弥生時代後期)などが出土しました。野尻遺跡は『和名抄(わみょうしょう)』所収の「船木(ふなき)郷」との関わりも考えられる遺跡です。