滑川家住宅主屋は多くの河岸問屋が存在していた野尻河岸において、明治6年(1873)の主屋が現存し舟運で栄えた集落の往時を示す家として貴重な存在です。
滑川家住宅長屋門は街道に面した屋敷地西方に位置し、南面して建ち、建築年代は江戸時代末期と考えられています。
滑川家住宅は集落内で最も有力な家のひとつで江戸時代には、代々「藤兵衛」を名乗っていました。
主屋は奥行が深く、座敷部を別に構えるなど規模が大きくその家格を示していることに加え、座敷部の室内意匠や仕様を上級武家住宅風になっています。
多くの河岸問屋が存在していた野尻河岸において、明治6年(1873)に建てられた主屋が現存し、舟運で栄えた集落の往時の様子を示す家として貴重な存在です。
近年においても薬局店、塩、煙草商店として広く地域住民に親しまれた歴史が伺えます。
長屋門は、街道に面した屋敷地西方に位置し、南面して建っています。
伝承では天保年間(1830-1844)の飢饉の時に救い普請として建てられたものとされています。
街路景観の重要な構成要因になっており、長屋門の建築年代は江戸末期と考えられています。