原始
銚子半島に人間が暮らし始めたのは、約1万5千から2万3千年前くらいの旧石器時代といわれています。
海に臨むこの地は、自然に恵まれ、数千年もの長い間狩猟と漁撈を中心とした生活が営まれ、その当時の様子は粟島台遺跡や余山貝塚からの出土品などから知ることができます。
古代・中世
平安時代に入り、武士が勃興するころになると、平忠常の子孫である千葉氏の支族である東氏・海上氏がこの地を領有するようになり、建久年間(1190年代)千葉常衡が海上与市を名のって船木郷に中島城を築城したといわれています。
飯沼観音の名前で親しまれている円福寺は、神亀5年(728年)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれ、海上氏の帰依も厚く、門前町が形成されたのが、現在の銚子の都市的起源とされています。
海の守り神としての川口神社は、寛和2年(986年)の創建と伝えられ、明治の初めまでは、白神(歯櫛)明神と呼ばれ、大漁節の9番目にも『この浦守る川口の 明神御利益あらわせる』と歌われているように、古くから漁師の信仰をあつめています。
近世
このころになると、新たな産業が始まりました。元和2年(1616年)に摂津国の酒造家の教示により飯沼村の田中玄蕃が醤油の醸造を始め、また、正保2年(1645年)に紀州から浜口儀兵衛が移り住み、醤油の醸造を開始。元禄期前後に銚子の醤油産業が発展しました。
万治元年(1658年)には、崎山次郎右衛門が外川浦に漁港を開き、外川港の繁栄をもたらしました。
利根川は、幾度もの改修工事を経て、寛永年間(1624年から1643年)、現在の流路に整えられ、江戸を洪水から救うとともに、江戸から銚子間の利根水運が開かれ、東北地方の米などを江戸に運ぶ重要な中継港として発展してきました。こうした利根水運の隆盛を背景に、漁業と醤油醸造が飛躍的にのび、江戸末期にはイワシの豊漁が続き、大漁祭が行われるようになりました。その祭のときに歌われたのが「大漁節」で、千葉県を代表する民謡の一つとして知られています。
源義経伝説
源義経が、兄頼朝に追われ奥州に逃れる途中、一千騎を引き連れて洞窟にこもったと伝えられている千騎ケ岩、外川から船で奥州へ逃れた後、海べりに残された愛犬が義経を慕って7日7晩吠え続け、最後は岩になってしまったという犬岩や馬ふん池など義経にまつわる伝説が残されています。
源義経伝説の犬岩