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銚子大漁節

最終更新日: 20110401

元治元年(1864)の春、銚子港は未曽有の豊漁で、港は鰯の銀りんで埋めつくされました。この豊漁を祝うため、川口明神で大漁祭を催すことになり、飯貝根浦の網元網代久三郎と飯沼浦の松本旭江と俳諧師石毛利兵衛の三人が、松本家の離れ座敷「夏蔭庵(なつかげのいおり)」(夏蔭書屋ともいい現存)に集って歌詞を合作し、常磐津師匠遊蝶が作曲し、清元師匠きん子が振付したものを、この祭礼で歌い踊ったのが起こりといわれています。

歌詞

一つとせ 一番ずつに積み立てて川口押し込む大矢声 この大漁船
二つとせ 二間の沖から外川まで続いて寄り来る大鰯 この大漁船
三つとせ 皆一同に招をあげ通わせ船の賑やかさ この大漁船
四つとせ 夜昼焚いても焚き余る三杯一丁の大鰯 この大漁船
五つとせ いつ来てみても干鰯場はあき間もすき間も更になし この大漁船
六つとせ 六つから六つまで粕割が大割小割で手に追われ この大漁船
七つとせ 名高き利根川高瀬船粕や油を積み送る この大漁船
八つとせ 八手の沖合若衆が万祝揃えて宮参り この大漁船
九つとせ この浦守る川口の明神ご利益あらわせる この大漁船
十とせ  十を重ねて百となり千を飛びこす万漁年 この大漁船
十一とせ 十一日は潮がわり鯵鯖まじりの大鰯 この大漁船
十二とせ 十二のお船玉いさましく明日も三ぞう積むように この大漁船
十三とせ 十三、四つの小野郎奴メンパで鰯を通わせる この大漁船
十四とせ 十四の生網、船新造、あらすの艪櫂で漕き回る この大漁船
十五とせ 十五夜お月様夜に余る八手の鰯は昼あがる この大漁船
十六とせ 十六ササギは花ざかり八手の鰯は色ざかり この大漁船
十七とせ 十七・八の小娘があかねのたすきで塩はかる この大漁船
十八とせ 旗は白地を染めちらしこれこそ八手の大漁旗 この大漁船
十九とせ 九十九里浜から銚子浦粕たく煙が絶えやせぬ この大漁船
二十とせ この職大漁で来る職もまたも大漁するように この大漁船

解説

十番までの「大漁節」が正調であり、作品としても完成品です。しかし、その銚子の知恵者がその続編めいたものを作り、宴席などで歌うようになったといわれています。

一番ずつ
各船とも一回ずつ
積み立てる
積み込む
押す
櫓をこいで船を押す
大矢声
弓矢を射るとき出るうなりのようなかけ声
大漁の時
漁師が大声でそろえた声でホーリャー、ホーリャー
不漁の時
ただ櫓の調子をあわせるための小さな声で、エンヤー、エンヤー
二間の沖
夫婦ケ鼻から黒生までの海の総称
寄り来る
魚が集ってくる
鰯の大漁を知らせるための目印
通わせ船
鰯の運搬船
焚く
生鰯を煮る
三杯いっちょ
三杯=ヤッサ篭三つで本篭一つになる
いっちょ
一斗樽
ヤッサ篭三杯の鰯を煮ると一斗樽一杯の油がとれる
(別の意味)油を入れる三斗八升入りの樽があって、普通なら五杯でいっぱいになるのだが、大鰯なので三杯でいっぱいになった。またアグリ漁は三隻で一ケ統になることから
干鰯
生鰯をそのまま海岸の砂地に干して作る肥料のこと
干鰯場
ほしかを作るために生鰯を干す場所
六つから六つまで
朝六時から夜六時まで。ここでは朝から晩まで
粕割
生鰯を大釜で煮て、それを圧搾機で締めると〆粕ができる。それを今度割って天日に干すのである。これを割ることを粕割という
大割
圧搾機で締められた固型の〆粕を木槌で荒っぽく割る
小割
荒っぽく割った〆粕を今度は手で一匹くらいになるように小さくほぐす
粕や油
〆粕の副産物として鰯油がとれる。〆粕や干鰯は肥料として、鰯油はカンテラや灯油用に使われた
八手の沖合
八手網船の漁労長
万祝
船主から沖合・漁夫達に贈られる大漁祝いの衣裳

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銚子市役所 観光商工課
電話番号:0479-24-8707
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