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市内各地で見られる石仏や道祖神、伊勢講などの記念碑、板碑などは掲載していません。
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この石碑は美呂津太兵衛が昭和63年に建立したもので、石碑には次のように刻まれています。
「寛文四年(一六六四年)紀州ミロツの人この浜に上陸し漁業を開拓す爾来銚子漁業隆盛を極む之より漁業発展の地ここを「ミロツ鼻」と称す」
美呂津太兵衛の先祖にあたるみろつ長六は現在の和歌山県西牟婁郡すさみ町見老津生まれの漁師で、寛文4年(1664年)に鯨漁のために銚子へ来てそのまま定着したと銚子市史に記されています。
また、元禄10年(1697年)ころまで飯貝根(現在の川口周辺の当時の地名)の鯨船の網主であったことが玄蕃日記(田中玄蕃が書き残した当時の記録)に記されています。
【所在地】港町1850番地付近の道路わき
利根川と太平洋の境界地点の堤防には「河川距離標」という小さな金属製のプレートが設置されています。
対岸の茨城県神栖市波崎の先端部分がかつてあったここまでが利根川でした。
【所在地】港町1850番地付近の堤防
この銅像は坂本庄三郎の偉功を顕揚し後世に伝えるために昭和53年4月に銚子市漁業協同組により建立されました。
坂本庄三郎は明治34年に市内竹町で生まれました。家業発展のみならず漁業発展の志を持ち、昭和31年には銚子市漁業協同組合の組合長に就任。以降、千葉県漁港協会長、千葉県漁港審議会委員、全国漁港協会副会長を歴任し、黄綬褒章、勲四等瑞宝章を受章しています。
【所在地】川口町2丁目(夫婦ケ鼻公園内)
魚の供養を目的に平成元年11月に建立されました。碑の裏面には次のように刻まれています。
「地球の母なる海よ さかなの母なる海よ わたしの母なる 銚子の海よ 魚よ ありがとう」
【所在地】川口町2丁目(夫婦ケ鼻公園内)
この碑は昭和20年に不二道考心会により建立されたもので、碑の揮毫は当時の銚子市長だった嶋田隆です。
また、碑の正面右側には次の歌が刻まれています。
「葦原の瑞穂の国の東辺に三光り仰ぐ心優しく 同気 田原久次郎作」
碑のわきには由来を刻んだ小さな石碑があり次のように刻まれています。
「由来 此の地は元禄元年辰の六月十五日様始め武蔵上野下野常陸下総の五ケ国不二道考心同氣女男ケ鼻朝日御恩禮修行場として知られしが昭和十三年四月二十五日様女男ケ鼻御来光拝禮場と改め今日に至る附近一帯を平磯台と呼び我國最東端に位置し之日本名所の一つ也 昭和三十年建立 同気 藤田辰之助 謹述」
不二道考心講とは、富士山を信仰する「富士講」から分かれた宗派で、江戸時代に小谷三志(本名は庄兵衛)によって確立されました。
従来の富士講が迷信や形式を重んじていたのに対して、不二道考心講は質素倹約、勤労奉仕、夫婦融和などの日常的な道徳実践を説いたのが特徴で、この教えは全国的に広がりをみせました。
【所在地】川口町2丁目(夫婦ケ鼻公園内)
昭和30年に建立され、明治10年の西南の役以降に犠牲になった多くの戦没者と戦災死者を合祀ています。
毎年秋には戦没者追悼式が行われ銚子市復興の礎になった多くの御霊に追悼の誠を捧げ市民の恒久平和を誓っています。
【所在地】前宿町(銚子市野球場隣り)
江戸時代に正確な日本地図をつくった伊能忠敬は富士山の方位観測のため関東最東端の銚子を訪れています。
滞在9日目に犬若岬(ここから南東に約1キロメートルの場所)から富士山の目視に成功しました。
この記念碑は平成25年(2013年)に銚子市制80周年記念事業として伊能忠敬測量記念碑建立実行委員会と伊能忠敬研究会によって建立されました。
【所在地】潮見町(銚子マリーナ海水浴場)
碑文の漢詩は吉田松陰が21歳の嘉永4年(1851年)に、鹿島神宮を参詣した際に銚子を訪れて詠んだもので、銚子が外敵に対して防御体制が整っていないことを嘆いたものです。
この碑は昭和19年(1944年)に当時市内在住だった篠崎信山が私財を投じて建立しましたもので、川口神社の参道になっている階段の途中、三の鳥居のわきにあります。
【所在地】川口町2丁目(川口神社参道)
江戸時代に多くの紀州人が銚子へ移住して、本格的な漁業や醤油産業など銚子の発展に大きく寄与しました。
その功績を讃えるため、紀州人を祖先に持つ人たちの集まりである木国会が、明治36年(1903年)に妙福寺の境内に建立したものです。
【所在地】妙見町(妙福寺境内)
この碑が建っている場所には、昭和11年(1936年)から昭和20年(1945年)の終戦まで下志津陸軍飛行学校分教場がありました。
昭和19年(1944年)11月には陸軍の特攻隊(特別攻撃隊)の18人が出撃し、フィリピンのレイテ島で17人が戦死しました。
翔天の碑は平成5年(1993年)に市内在住のカメラマンが中心となり集められた浄財によって建立されました。
【所在地】春日台町
濱口吉兵衛は現在の和歌山県有田郡広川町の出身で、大正2年(1913年)に銚子遊覧鉄道株式会社と銚子ガス株式会社の社長に就任。
大正9年(1920年)には銚子醤油株式会社社長となりました。
貴族院議員としても活躍しますが、遭難が後を絶たない銚子漁港の整備を関係方面に訴え続けたことにより国庫補助による県営事業が実現。
日本屈指の漁港に発展することとなりました。
銅像は昭和12年(1937年)に建立されましたが、昭和18年(1943年)に太平洋戦争の際に金属類回収令で軍事供出されてしまったため、昭和30年(1955年)に市制施行20周年記念事業として再建されました。
【所在地】新生町1丁目(新生浜公園)
小野田周斉は現在の和歌山県有田市の出身で医者でした。
明治24年(1891年)に創設された銚子病院に招かれ院長に就任。
千葉県議会議員として4期15年間にわたり地方行政の発展に寄与しました。
銚子漁港の修築事業では、衆議院議員だった濱口吉兵衛を助けて東奔西走した結果、国庫補助による千葉県営事業の実現につながりました。
この頌徳碑は昭和30年(1955年)に市制施行20周年記念事業として建立されました。
【所在地】新生町1丁目(新生浜公園)
ヤマサ醤油10代目社長だった濱口梧洞(儀兵衛)は、貴族院議員として国政に尽力するほか全国醤油組合理事長や全国醤油統制組合株式会社社長を歴任しました。
財団法人公正会を組織し、大正13年(1924年)に巨万の私財を投じて公正会館を建設しました。
昭和23年(1948年)に銚子市に寄付され公正市民館と名付けられました。
昭和32年(1957年)に開館30周年を記念して、銚子市により建物の前に胸像が建立されました。
【所在地】新生町1丁目(中央コミュニティセンター前)
この慰霊塔は海難事故防止の願いを込めて昭和35年(1960年)に建立されました。
慰霊塔の題字は当時の岸信介内閣総理大臣の揮毫によるものです。
塔が建つ千人塚は宝永3年(1706年)に観音像が、享保10年(1725年)に地蔵が建立され、文化13年(1816年)には浄土宗の高僧・徳本上人を招請して法要を営み塔を建立したという記録が残り、少なくても300年以上前から供養の地であり墓所でもあったと考えられます。
【所在地】川口町2丁目(千人塚)
慶応4年(1868年)8月19日、榎本武揚が率いる幕艦8隻が江戸から箱館へ向かう途中、房総沖で暴風雨に遭い、その一隻の美加保丸が5日間漂流し黒生海岸で難破沈没し乗組員13人が亡くなりました。
明治15年(1882年)に美加保丸の生存者や地元有志などにより「南無阿弥陀佛」と彫られた墓標が建てられ、その右手前に昭和13年(1938年)に多数の寄付によって美加保丸遭難の碑が建立されました。
【所在地】黒生町(とんび岩前)
崎山治郎右衛門は和歌山県日高郡由良町の出身で、明暦2年(1656年)に銚子へ来ました。
万治元年(1658年)に外川漁港の築港を開始し、さらに碁盤目状の街区を整備し紀州から人々を呼び寄せました。
銚子漁港が整備されるまで外川漁港が漁業の中心地でした。
イワシの豊漁により綿花栽培の肥料として需要が大きかった干鰯(ほしか)が利根川を経て江戸に運ばれ大繁盛しました。
この碑は崎山治郎右衛門の先駆者としての偉業を誇りとする子孫らが発起人となり、昭和58年(1983年)に関係者によって建立されました。
石碑の土台になっている石は外川漁港の築港時に堤防に用いられたものです。
【所在地】外川町1丁目(大杉神社境内)
この人魚像「浴光」は彫刻家の中川為延(1904年から1967年)の作品で、小野田セメント株式会社(現在の太平洋セメント株式会社)から昭和31年(1956年)に銚子市へ寄贈されたものです。
作品は白色セメントを素材として高度な技術で作られていて、JR銚子駅前広場に設置され永く市民に愛されていましたが、銚子駅前通りシンボルロード整備事業の施工にともない平成4年に川口町の水産物即売センター「ウオッセ21」の敷地内へ移設されました。
その後、銚子マリーナ開業に合わせて、太平洋セメント株式会社の協力により修復され平成11年(1999年)にマリーナを望む現在の場所へ移転しました。
【所在地】潮見町(銚子マリーナ内)
明治44年(1911年)大正天皇陛下が皇太子殿下時代に、千葉県を行啓し千人塚付近の磯に立って奇岩や荒磯の風光明媚な景観に感銘を受けました。
その後、大正14年(1915年)に大正天皇陛下の即位を記念して碑を建立しましたが、国の第三次漁港整備に伴い平成5年(1993年)に岩石公園の一角へ移設されました。
【所在地】川口町2丁目(岩石公園内)
諸事万物を貧窮させる元凶の貧乏神に犬が乗った石造です。
この犬は福禄寿の化身にして、幸運、子宝、長寿の神といわれ、犬の頭をなでると病気平癒、健康増進のご利益があるといわれています。
平成19年(2007年)に株式会社ハドソンにより犬吠駅に建立されました。
【所在地】犬吠埼(銚子電鉄犬吠駅構内)
諸事万物を貧窮させる元凶の貧乏神に猿が乗った石造です。
猿は貧乏神を追い払う毘沙門天の化身にして福徳の神といわれ、猿の頭をなでると海運出世、商売繁盛のご利益があるといわれています。
平成19年(2007年)に株式会社ハドソンにより仲ノ町駅に建立されました。
【所在地】新生町2丁目(銚子電鉄仲ノ町駅構内)
諸事万物を貧窮させる元凶の貧乏神に雉(キジ)が乗った石造です。
雉の文字は雄弁に通じ、学問の神、弁財天の化身といわれ、雉の頭をなでると学問成就、才智縦横のご利益があるといわれています。
平成19年(2007年)に株式会社ハドソンにより笠上黒生駅に建立されました。
【所在地】笠上町(銚子電鉄笠上黒生駅構内)
銚子電鉄海鹿島駅は関東最東端の鉄道駅です。
駅舎の前には「関東最東端の海鹿島駅」と書かれた碑が建っています。
【所在地】海鹿島町
銚子電鉄の終点である外川駅を降りると、明るい色合いの「笑顔の塔」が目に入ります。
高さ3.2メートルのモニュメントには花や緑のほか太陽と月が描かれています。
このモニュメントは外川駅の命名権を取得した早稲田ハウスが平成28年(2016年)に銚子電鉄へ寄贈したものです。
【所在地】外川町(銚子電鉄外川駅)