特集 90年の時間旅行 昔と今を知る人に話を聞いてみた ■国民体育大会 昭和48年 若潮国体 平成22年ゆめ半島千葉国体 【写真】市役所の駐車場で聖火を持って立っているランナーの写真 聖火リレー、市役所から出発 【写真】銚子市野球場の前に停まる昭和天皇・香淳皇后のお車。人々に出迎えられている写真 昭和天皇・香淳皇后がご臨席 【写真】観客席が埋まり、立ち見する人もいるほど満席の銚子市野球場の写真 超満員の銚子市野球場 【写真】決勝戦で勝利し、グラウンドを整列して歩く銚子商業の選手たちの写真 銚子商業が作新学院を決勝戦で破り優勝 【写真】整列して歩く銚子商業の選手たちの写真 【写真】外野席で観戦する人々 春の県大会を国体のリハーサル大会として開催。決勝戦は「銚子商業 対 習志野」。外野席まで人で埋まった。 【写真】試合前の野球場に並ぶ人々の写真 【写真】沖縄県の興南高校の投手が投球した瞬間の写真 試合前には長蛇の列。沖縄県の興南高校が甲子園を春夏連覇、国体にも注目が集まる。 ◇「銚子と言えば、野球だった」 当時は野球王国千葉、野球王国銚子の名が轟いていた。銚子を出ると「野球が強い所だよね?」と聞かれた人が多いのでは? 若潮国体、作新学院の江川の巨大なお尻も印象に残るが、一番は、昭和天皇のお車にファールボールが当たったこと。打ったバッターは、後に、阪神に入団した植松選手。 本当にすごい大会だった。平成の千葉国体は、野球協会の理事長として、全国のチームを迎え入れた。長蛇の列が懐かしかった。 先代の銚子球児が築いた野球の熱を百周年まで繋ぎたい。 銚子市野球協会 会長 小林正雄さん ■外川の街並み イワシ漁で、「外川千軒大繁盛」と言われた漁師町 【写真】外川の石畳の坂道を歩く人の写真。背中の籠にイワシを入れて運んでいる 本浦通りの石畳 外川港から坂の上の干鰯(ほしか)場にイワシを運ぶ産業道路。雨でぬかったり、滑ったりしないように石畳にされた。 (干鰯:イワシを干して固めたもの。アブラナなどの肥料に最適) 朝の連続ドラマ「澪つくし」の舞台にも。 現在も、どこか懐かしさを感じられる観光スポット。 2019年、有志により結成された「外川ふんわり会」が外川の魅力を観光客や市民に発信している ◇「坂は人で溢れていた」 坂にはエピソードが多い。「登るとお産が楽になる」と、妊婦さんの間で流行った。大潮祭りでは子ども神輿四基が登った。とにかく賑やかで楽しかった思い出。 本浦通りの駄菓子屋さんには近所の子どもたちが押し寄せた(写真左のお店)。「澪つくし」をはじめ、多くのロケが行われる。懐かしさを感じられる古き良き坂の町。 ふんわり会で作ったマップを片手に散策しませんか。 外川町 ほまれ理容室 野本春道さん ■銚子大橋 当時は赤かった、国内最大級の橋 【写真】銚子大橋開通の祝賀パレードの様子。楽器や指揮棒をもって行進している 昭和37年 銚子大橋開通 当時は有料(波崎町側に料金所設置)。昭和49年に無料化 《自動車120円、軽自動車20円、自転車10円、徒歩5円》 (注釈)無料化直前の料金 平成25年 2代目銚子大橋が全線開通 歩道が整備され、散歩やジョギングで利用する人も増えた ◇「定着した、赤い橋の八百屋さん」 橋の完成後、この辺一帯が活気に溢れていた。人の往来が増えてみんな橋を目印に買い物に来るようになった。当時の大橋は赤くてインパクトも強く、お店を覚えてもらえた。 橋ができる前は、渡し船で川を越えて買い物に来てくれる人もいた。いつまでも、橋の下の八百屋さんとして地域に馴染んでいきたい。 大橋町 鈴木青果店 鈴木千尋さん 光代さん ■飯沼観音周辺 門前町として発展。銚子のエンターテインメントの中心 【写真】昭和8年ころの飯沼観音前の通りの写真。着物を着た人々が行き交っている 昭和8年、市制施行当時の飯沼観音周辺  大衆娯楽の中心地。サーカスをはじめ、年中見世物小屋が。 境内には無声映画館もあり、「活弁」といわれる映画説明者が一流の名調子で観客を魅了した 近年の飯沼観音周辺  道路や銚子銀座通りココロードが整備された。 「観音夜市」や「グリーンマーケット」など、飯沼観音の境内でイベントが催され、新たな賑わいを作っている ◇「ここが、銚子1番の遊び場。」 観音に行くときは、「銚子行ってくる」という言葉が使われていた。銚子駅前よりも、どこよりも賑わった。 特に、旧正月には、サーカスや大道芸人が登場し、興奮した人で溢れかえった。 時代が変わった今、飯沼観音で新たなイベントが開かれていることが嬉しい。縁日でお祭り気分を味わって、周辺を散策してみるのも良い。 この町も形を変えている。商店街も、後の時代に繋げていきたい。 飯沼町 石毛呉服店 石毛和男さん