■人々の生活を支えた交通手段 渡し船 【写真】利根川にせり出した乗船場で渡し船を待つ人々と近づく船の写真 現在の河岸公園 銚子大橋が開通するまで、銚子から波崎間を結ぶ移動手段だった渡船 利根川に銚子大橋が架かっていなかった明治から、平成にわたる88年間の歴史に幕を下ろすまで、通学、通勤、ちょっと遊びに行くのにも、 なくてはならない市民の足だった。平成八年に運航終了。 ■電車や鉄道 人々の足として、生活を支える。 【写真】「ご苦労さま」と書かれたプレートを付けている蒸気機関車の写真 昭和44年 SLが姿を消す 【写真】銚子電鉄に大勢の人々が乗り込む様子 昭和50年ころの銚子電鉄 ◇さようなら蒸気機関車 最後の蒸気機関車は総武本線。前面に日の丸を交差させ、千葉駅から走ってきた。国鉄の無煙化計画により、全国の路線から次々と姿を消すように。 その後、市は、廃車となった蒸気機関車を借りて、前宿町の市体育館脇に展示した。 ◇開業百周年の銚子電鉄 百年前(大正12年)、銚子市の市制施行よりも前に開業した、全長6.4キロメートルのローカル鉄道。何度も経営危機を迎えるも、副業のぬれ煎餅販売やお化け屋敷電車、 電車プロレスなどの企画で「絶対にあきらめない」。 ■市制施行当初の乗り物 メインストリートは写真でわかるとおり、かなり素朴。 市制施行後、町は急速に発展し、道路の拡張が行われるが、太平洋戦争で焼失した。 【写真】お店の前をバイクに乗った人が通行している写真 【写真】人力車が停まっている広場の様子。バスも走行している 市制施行当初のメインストリート。道路は舗装されていない 【写真】街道を三輪車や荷馬車が走行している写真 旧西銚子町。本城から松岸方面へ向かう街道。馬が肥料を運んでいる 【写真】銚子駅前の広場で人々がバスに乗り込む写真 銚子駅前のバス乗り場