銚子のたからものを守る 高田川でつながる仲間たち

■「和気あいあい」 3つの兄弟団体が西部地区の宝をつなぐ

市の西部を流れて利根川に注ぐ高田川。その高田川沿いで活躍する3つのボランティア団体「余山貝塚美化の会」「高田川と共生する会」「白石ダムに集う大地の会」をご存知ですか。
「地域の宝物を守っていきたい」と日ごろ汗を流してくださっている皆さんをご紹介します。

<平成24年発足 余山貝塚美化の会>
会長 信田 進さん
楽しみながらを大切に
お互いに協力しあってきた3団体の皆さんのおかげで何とか余山貝塚は現状を維持できています。
会の発足当初が一番大変でした。有名な縄文遺跡なのに隣接する線路まで竹やぶ。荒廃がひどく、ゴミが捨てられていて、人が入れる状態ではありませんでした。今では、すっかり子どもたちが楽しく学べる場所になりました。
身近な「銚子資産」を守り、若い人たちに伝え、つないでいきたいです。

<平成28年発足 高田川と共生する会>
会長 石毛 隆さん
人のつながりができることが1番の楽しみ
高田川をはじめ、市の西部は史跡などの文化財がたくさん。景勝地として知ってもらい、人が訪れる場所を残したいと会を発足しました。
地域の企業の協力もあり、楽しく活動しています。

<平成29年発足 白石ダムに集う大地の会>
会長 加瀬 佳二さん
白石ダムをお花見ができる場所に
市の大切な飲み水を供給する白石ダムのことを知ってほしくて、会を発足しました。余山貝塚から移植したものや市民からの寄贈で約50本の桜を植えています。
憩いの場を残していく活動は、張り合いがあります。

・余山貝塚。竹やぶがうっそうと茂りゴミが捨てられ、足を踏み入れることができなかった
・毎年4月29日には余山貝塚で合同イベントを開催。地域の鳴り物や音楽バンドの演奏、もちつきで盛り上がる
・3つの団体の活動エリアを流れる高田川。すっかりきれいになった川沿いでは散策を楽しめるように。サケが遡上することもある

◇余山貝塚美化の会環境美化活動
毎月1回の余山貝塚清掃には、高田川と共生する会、白石ダムに集う大地の会の皆さんも強力な助っ人として参加する。

◇一緒に余山貝塚を未来に残しませんか
毎月最終日曜日に楽しみながら美化活動をしています。

問い合わせ:余山貝塚美化の会 信田さん
【電話】090-1033-0979

■銚子のたからものを守る 余山貝塚を掘ってみた

<縄文土器から貝層が形成された時期がわかります>
貝塚には、縄文人が食べた貝や動物の骨が堆積しています。その中には縄文土器をはじめ多くの使用された道具も交じっています。
平成29年度の調査で確認された貝層は、一緒に出土した土器から縄文時代後期の貝層ということがわかりました。縄文土器は、時代を知る物差しになります。

<貝層の中身の調査を行いました>
調査で検出した貝層の土砂は全て土のう袋に入れて持ち帰りました。
水洗いして、中身を全て取り出し、貝殻と骨などに分類。専門家に確認作業を依頼しました。

<堆積していた貝殻からわかること>
堆積している貝殻の約7割がチョウセンハマグリ、3割弱がダンベイキサゴ。
そのほかコタマガイやヤマトシジミ、アカニシなどがわずかに混じっていました。貝殻を種類ごとに分け、貝の大きさを計測します。

<骨は動物と魚類に分けます>
水洗いをしたあと骨を抜き出し、専門家に分析をしてもらいました。動物の骨で最も多かったのは、ニホンジカ。鳥類の骨も比較的多く、水辺に生息する鳥の仲間が多かったと報告を受けました。魚の骨はクロダイ属やタイ類を主体として、スズキ属、ボラ類が次に多いことが分かりました。

<シカの角や骨を使って道具を作る>
下総台地には、縄文人の食料となるシカやイノシシがいました。それらの動物を食料とした後、その骨などを使って魚を獲る「釣針」や「モリ」「ヤス」を作っていました。

<ベンケイガイの貝輪の未製品がたくさん出土>
余山貝塚はベンケイガイを使用した貝輪(ブレスレット)をたくさん作っていた、と言われています。平成29年度に確認された貝層からは、作っている途中の貝輪が111点見つかりました。

◇始まりは余山貝塚から
高田川沿いで活躍する3団体のうちの1つで、最も早く活動を始めたのが余山貝塚美化の会。
地元の皆さんの「地域の宝、余山貝塚を後世に残したい」という地域への深い思いが、余山貝塚の発掘調査に繋がりました。
余山貝塚は、利根川岸の標高約7メートルの砂の高まりにある縄文時代から平安時代の遺跡です。特に縄文時代後晩期の貝塚として知られています。
余山貝塚は、明治期から東京大学人類学教室をはじめ多くの研究者に発掘調査されてきましたが、余山貝塚の全貌が分かる詳細な報告書はこれまで刊行されていません。
そこで、市教育委員会は、平成26年度から令和2年度にかけて、主要貝層の状況や縄文時代の集落範囲を確認するため調査しました。
貝塚は、縄文人が食用などの目的で採って集落内外に捨てた遺跡です。貝塚で貝が堆積している部分を「貝層」といいます。余山貝塚の貝層は高田川右岸の緩斜面に沿って東西約180メートル、南北約120メートルの範囲に広がっていて、一番多く含まれるのはチョウセンハマグリです。
貝層から検出した動物や魚の骨の分析も始まったばかりです。
貝層がどこまで広がり、どこに残っているのかを確認する必要もあります。
また、大量の作りかけの貝輪は見つかったのに、縄文人が住んでいた住居跡はあまり見つかっていません。ここに貝塚を作った縄文人はどこで暮らしていたのでしょう。まだまだ多くの謎を解いていく必要があります。今後も余山貝塚の調査を続けます。お楽しみに。

縄文人もイワシが好きだったのかな?
問い合わせ:文化財・ジオパーク室
【電話】21-6662