江戸時代の銚子を代表する豪商であった田中家当主の田中玄蕃により書き継がれた文化9年(1812)から明治5年(1872)までの日記です。日記には、毎日の気象、家事、交際記録、陣屋や村役人の動向、家業経営上の心覚えなどが記され、近世銚子の庶民生活や政治・経済の状況を知る貴重な資料です。書写本が、市公正図書館にあり閲覧できます。
『玄蕃日記』は、文化9年(1812)から明治5年(1872)に至る61年間、田中玄蕃家の当主によって書き継がれてきた日記で、総冊数は95冊に達する記録です。
日記は冊子装(さっしそう)で、表紙には要用記、日記あるいは日鑑の表題がつき、そのほか年号と筆者田中玄蕃の名が記されています。
田中家は、海上(うなかみ)郡飯沼(いいぬま)村の草分百姓で、近世に入ってから干鰯(ほしか)生産や醤油醸造業を営んで産をなし、幕末にいたって、高崎藩から士分の待遇を与えられるなど江戸時代の銚子を代表する豪商でした。
日記には、毎日の気象にはじまり、家事、交際の記録、陣屋や村役人の動向、家業経営上の心覚えなどが記されていて、近世銚子の庶民生活や政治・経済の状況を知る上での貴重な資料です。
なお、日記のうち文政7年、弘化3年、明治3年・4年などを欠失しています。